第1講では本書のタイトルにもなっている「世界史とは何か」「歴史実践とは何か」がテーマとなる。
第一に1994年の松本サリン事件において、事実ではないことを事実として報道するメディアを通じて、人々が歴史を歪曲しながら解釈していった事例が語られる。
そこから氏は「歴史について考える」ために、アプリオリに事実とされがちな教科書の歴史叙述が、史資料を通じて多面的に見直すことでどのように異なって見えてくるのかという授業実践と、教師と生徒が対等な立場で参加する自主ゼミを開始し、「事実」がとても見出しにくく、解釈や用いる言葉により見え方も異なる相対主義的なものであることを指摘する。
そして「多様な意見があっていいね、考えさせられるね」という安易な相対主義に陥らないためには事実立脚性と論理整合性が大切となるが、解釈の対立が水掛け論や感情的な攻撃になることを回避するために、相対化への意志を持ち相手をリスペクトしながら対話、協働して「私たち」となることの重要性が示される。
第二に、「歴史について考え(第一で指摘したいわゆる歴史的思考力に基づく思考)」行動すること、すなわち「歴史実践」について、その先駆者である保苅実の遺書『ラディカル・オーラル・ヒストリー』に依拠しながら、「真摯な経験」に基づく「歴史叙述」や「歴史実践」同士で、グランドキャニオンにバラの花弁を落とし爆発を待つような形で「接続可能性」を探究することの重要性を説く。
そして、生徒と教師の間にグランドキャニオンの高さほどの隔絶が存在する現場において、生徒が「より良い」思考をしながら行動できるようになるためには、花弁がどのように落ちていくか(生徒と教師の対話がどのように展開するか、どのように展開させるかについての方法)よりもどのような花弁を落とすか(何を一緒に考えたいのか)がより大切であるという。
つまり史資料を中心としたコンテンツの吟味が、コンピテンシー育成の必要不可欠な基礎なのである。
次に、そのようにして「考え、吟味され叙述された」「歴史実践」としての世界史には、保苅のように特定の問題関心を持ってテーマを設定し過去に問いかけ、「今、ここで」どう生きるかを考える「世界と向き合う世界史」と、ナチス・ドイツの独裁体制が生まれた原因のように過去へ問いかけた歴史像を結びつけていく「世界のつながりを考える世界史」があり、後者は①つながりや発展にパターンを見出す「歴史類型論」、②つながりの根底に世界経済の動向を置きながら描く「歴史構造論」、③「世界と向き合う世界史」の空間軸と時間軸を拡大し、つながりを網羅的に明らかにしてテーマの分析を深める「歴史連関分析」に分類される。
そして氏が目指す歴史総合は、生徒たちが「世界と向き合う世界史」の探求を重ねるなかで、教科書の「世界のつながりを考える世界史」を書き直す歴史実践の主体となっていくことであるという。
第2講は、第1講の内容を歴史総合の授業を充実させる方法として再定義する。
まず歴史実践について、遅塚忠躬が『史学概論』で提示した①問題関心と問題設定、②史料選出、③史料を通じた歴史実証、④歴史的意義の解釈、⑤問題設定への仮説提示と歴史像の構築や修正からなる「作業工程表」を、①歴史実証、②歴史解釈、③歴史批評、④歴史叙述、⑤歴史対話、⑥歴史創造の六層構造に再定義する。
そしてそれは研究者だけのものではなく高校生を含む全ての人々がそれぞれの関心や次元で営むものであるとし、歴史総合においても「様々な歴史叙述を検討しながら不断に私の叙述する歴史を相対化し練り上げつつ、歴史についての考え方を身につけて」=「歴史の学び方を学んで」いけば、「歴史主体の成長」という「歴史創造」になるという。
そこで重要となるのが検討・相対化・考え方の素材となる問い(立問力は育成すべきコンピテンシーでもある)であるが、昨今の歴史教育に関する実践が大きな問い(MQ)と小さな問い(SQ)を精緻化することに注力された結果形式主義に陥り、多くの問いが教科書に書かれてある答えを読み取るだけになってしまう危険性を指摘する[2]。
この「問いの形式化」を乗り越えるために、氏は①「変だなあ」「どうしてなんだろう」「なんでこんなふうに書いているんだろう」から始まる課題発見作用の対話、②現代における類似した事例を考えさせることで歴史を自分ごと化していく主体化作用の対話、③比較することで歴史的特徴をより鮮明に浮かび上がらせると同時に相対化を可能にしていく時空間拡大作用の対話、④歴史解釈のフレームや概念を見つめ直すような根拠の問い直し作用の対話、⑤教科書の叙述に対して史資料をもとに女性や奴隷など別の立場から書き換えていくような仮説の構築・検証作用の対話を産むような問いを教師がすること、そして生徒自身がそのような問いを立てられるようになるような「歴史実践」を提起し、対話の際の留意点として、「ボイテルスバッハ・コンセンサス」をひきながら、①対象にタブーを作らないこと、②対話者は対等であり相互にいのちをリスペクトしあうこと、③自己を相対化する意志を大切にすることを挙げている。
では、どのようにすれば60時間前後の歴史総合で、網羅主義を乗り越え教科書を終えながら、本書で示された歴史実践に近づくことが可能になるのか。
そのためには、第一に教科書を事前に読ませ(生徒の実態に応じて準拠ノートに取り組ませ)、授業におけるコンテンツの網羅的説明をやめることである。教材の精選原理については、各大項目を通じて獲得させたい概念や育成したいコンピテンシーに必要なコンテンツが原則であり、そこから関連する史資料を吟味すると良いだろう。
例えば近代化と私たちであれば、冊封体制、主権国家体制、市民革命、国民国家、産業革命、資本主義、社会主義、帝国主義、ウエスタンインパクト、オリエンタリズム、グレートゲームといった概念を設定し、近代化についてこれらの概念を用いて多面的に説明できるようになるために必要な史資料を吟味する、といった具合である。
第二にスライドなどのICTを効果的に活用し、板書や考査返却にかける時間を短縮することである。
そうすれば問いに基づいて史資料を読み解き、対話する活動を充実しながら、概念を獲得をさせつつ、概念を通じて見る力や事実立脚性と論理整合性に基づく思考といったコンピテンシーの育成を目指すことが容易になる。
第三に、問いを立てられるようになるためには、教師が模範として良質の問いを発することは勿論(前提として歴史の扉で、閉じた問いと開かれた問いなど問いの種類や階層性について予め説明すると良い)だが、同時に生徒自身が普段から不断に問いを立てるような仕掛けをすることが求められる。
そのために私は単元ポートフォリオを活用し、各授業の問いに対する回答だけでなく、疑問に感じたことや更に考えたいことについての欄を設け、表現させている。
そしてフィードバックとしてポートフォリオ返却時に問いの質について再度コメントしたり、疑問や考えたいことについて自分で史資料を調べ探究する(ちょこっと探究と名付けている)ことを促すことで、立問力や探究力の育成と、自ら学びを改善するという意味での主体的に学習に取り組む態度の育成につなげている。
こうすれば、D(4)の頃には多くの生徒が無理なく問いを立て探求できるようになっている、というわけである。勿論生徒によって到達度は多様なため課題を抱える生徒に対して個別にファシリテートする必要はあるが、今日の高校生は想像以上にICTを活用した調べ学習慣れしているので、総合的な探究の時間や他科目とのカリキュラム・マネジメントを進めながら実践していけば、それほどハードルは高くないだろう[3]。
以上のように多くの歴史総合担当者にとって福音となるであろう本書であるが、最後にいくつかの論点を提示して結びとしたい。
第一に問いについてである。教師が問いをブラッシュアップし続けることは間違いなく重要であるが、生徒自身が複数な次元の問いがあることを理解しながらより良い問いを立てられるようになっていくようにするという歴史総合の科目の性質を考慮すると、一問一答から教科書を読めば答えられるもの、史資料の読解が必要なもの、複数の史資料や概念を関連付けながら答えるもの、様々な事例があって答えが一つに定まらないもの、学説史上もまだ答えが一つに定まっていないものなど意図的に多様な問いがあってもよいだろうし、生徒の実態に応じて段階的にカスタマイズすることが求められるのではないだろうか。
第二に六層構造についてである。六層構造に問題がある、ということではないし、原則的には教師が生徒の実態に応じて六層の扱いに軽重をつけることにはなるだろう。
ただ、立問力の育成や、D(4)で生徒自身が歴史総合の学びを元に現代の諸課題と関連付けながら問いを立て史資料を集めて探究活動を行うことを考慮に入れるならば、事実立脚性と論理整合性に基づく歴史実証力の育成により重点を置くべきではないだろうか。
すなわち、歴史実証の過程を三段階に分けている遅塚の作業工程法のほうが歴史総合にはよりマッチするのではないだろうか。
第三に、第3章で史資料として取り上げられる蠣崎波響の『夷酋列像』についてである。
氏は加藤公明の実践にもとづき、「アイヌは礼節を知らない野蛮人であるとするまなざしが、蠣崎の絵にはありました」という(154頁)。確かに幕府や明治政府の側にそのようなまなざしは存在したであろう。
しかし、『夷酋列像』においても、そのようなまなざしが主であったと果たして言えるのだろうか。
「礼節をしらない野蛮人」をあれだけ微細にまでこだわって、屈強な出で立ちで、蝦夷錦まで着せて描くのだろうか。
むしろ、松前藩は、異形ではあるが威風堂々としており、蝦夷錦などの豊かな産物をもたらす存在であったアイヌを、クナシリ・メナシの戦いをでもわかるように従えおり、蝦夷地の支配に問題はないというアピールであったというのが通説だろう。
そのようなアイヌへのまなざしが明治維新後の国民国家形成の文脈の中で北海道においても変容していったという文脈で、「近代化と私たち」の私たちと関連付けながら扱ったほうが良いのではないだろうか[4]。
また『夷酋列像』がなぜフランスのブザンソンで発見されたのか、ということも歴史総合にとっては格好の探究テーマとなるだろう。
このことについてはまた稿を改めて論じたい。
以上いくつかの論点を指摘してきたが、そのことは本書の価値を否定するものでは一切ない。
高校教員だけでなく、歴史総合を教える高校教員養成に関わる大学教員にとっても、地歴科教諭を目指す大学生にとっても必読の一冊である。(ネットのコメント抜粋)