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幸せのかたち

2025-12-28 朝日新聞記事へのコメント

早稲田大学の鈴木貴宇教授(日本近代文学)によるインタビュー記事に基づき、日本人が追い求めてきた「幸せの形」とその限界、そして将来の展望についてコメント解説します。

1.     内容の論点整理:日本人が求めた「幸せ」の正体 この記事は、日本人が近代化の中でどのように「自分にとっての幸せ」を定義し、それが今なぜ行き詰まっているのかを以下の3つの論点で解説しています。

「マイホーム」は喪失感を埋めるための代用品だった

• 家郷(かきょう)の喪失: 近代化により、人々は農村(地縁・血縁)という古くからの共同体を離れ、都市へ流入しました。

• 代替品としてのマイホーム: 帰るべき場所を失った「家郷喪失者」にとって、自分の家を持つことは、失った共同体に代わる「ささやかな居場所」の創設を意味していました。

• 国家への帰属: 共同体を失った不安が、戦前は「国家(ファシズム)」への依存、戦後は「高度経済成長期のマイホーム主義」へと形を変えて現れました。

 「幸せの定食化」と個人の不在

• 他者からの承認: 日本人は「自分がどうしたいか」よりも、メディアが提示する「サラリーマンと専業主婦の核家族」というモデルをなぞることで、他人から「幸せだ」と認められることに依存してきました。

• 定食的な安心感: 自分の好みを一から考えるのは大変ですが、決まったメニュー(定食)を選べば楽です。マイホームや標準的な家庭像は、思考停止しても得られる「パッケージ化された幸せ」でした。

• 内面の空虚: 大正時代からすでに、その「幸せの形」の中身が空っぽであること(個人として向き合うと何をすればいいか分からない不安)は予見されていました。

「家族」という呪縛と役割の崩壊

• 役割の固定化: 「父・母・子」という「家族定食」の役割に依存しすぎると、その枠組みが外れたときや、時代が変わったときに苦しむことになります。

• プライベートの軽視: 日本社会はこの100年、会社や家族という「属性」に依存し続け、個人としての内面(本当のプライベート)を育てることをおろそかにしてきました。

将来展望:これからの「幸せ」はどう変わるべきか 記事の内容を踏まえると、今後の私たちの生き方や幸せのあり方は、以下の方向へシフトしていくと考えられます。

1.      「帰属先」を組織から自分自身へ これまでは「会社」「家族」といった組織に属することで幸せを定義してきましたが、これからは「自分自身が自分の帰属先になる」ことが求められます。組織や役割がなくても、「自分はこれでいい」と思える自己肯定感や、個人の趣味・関心を土台とした幸福観の構築が必要です。

2.     「定食」から「アラカルト」の幸福へ あらかじめ用意された「標準的な幸せのモデル(マイホーム・結婚・終身雇用)」はもはや機能しません。自分の価値観に基づいて、必要な要素を一つずつ選んで組み合わせる(アラカルト的な)生き方が主流になります。これは自由である反面、「自分は何を求めているのか」を問い続けるタフさが必要な時代になることを意味します。

3.     「公私の区別」の再定義 労働=自己実現という考え方は根強いですが、仕事という「公」の部分だけでなく、誰の目も気にしない「私」の時間をいかに豊かにするかが重要になります。社会的な成功や他者からの見え方ではなく、「自分だけの楽しみ」や「孤独を愛でる力」が、将来の幸福度の鍵を握るでしょう。 

まとめ: この記事は、私たちが追い求めてきた「標準的な幸せ」は、実は孤独を埋めるための急造の避難所だったのではないか、と問いかけています。

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