ぶらり、散歩に読書 ミチクサノオト

円安という「静かな偏り」について

2026-2-4

朝の散歩道で、ふと為替のニュースが耳に入る。
円がまた下がった、と。
けれど、その数字の裏側で何が起きているのかを、私たちはどれほど実感できているのだろう。

円安はしばしば「政策の失敗」と語られる。
しかし実際には、日銀が長く続けてきた低金利政策の副作用として生じた側面が大きい。
世界が急速に利上げへ向かうなか、日本だけが低金利を維持すれば、資金はより高い利回りを求めて海外へ流れる。
その結果として円が売られ、円安が進む。
これは、ある意味で避けがたい力学だ。

ただ、問題はその先にある。
円安がもたらす利益と負担が、あまりにも非対称に分配されているという事実だ。

輸出企業は円安で利益を伸ばす。
海外で得た売上を円に換算すれば、数字は自然と膨らむ。
株価も上がり、企業の決算は華やかに見える。
この構図が長く続いたため、円安批判はどこかタブーのように扱われてきた。
戦後日本を支えた輸出産業の成功体験が、いまも政策判断の奥底に影を落としている。

しかし、私たちの暮らしはどうだろう。
食料もエネルギーも、原材料の多くも、輸入に頼る国である。
円安は静かに、しかし確実に、生活のコストを押し上げる。
家計は実質的に目減りし、中小企業は仕入れ価格の上昇に耐えながら、価格転嫁もままならない。
地方の商店街では、光熱費の請求書が毎月ため息を誘う。

利益は一部に集中し、負担は社会全体に拡散していく。
この非対称性こそが、いまの円安問題の核心だ。

マクロ経済の教科書を開けば、低金利が円安を招く仕組みは、数式で淡々と説明される。
しかし、その数式の外側にいるのは、日々の暮らしを営む私たちだ。
為替レートの変動は、決して抽象的な数字ではなく、
食卓の値段や、地域の商いの持続性、そして未来への安心感にまで影響を及ぼす。

政策の副作用としての円安。
利益構造が生んだ沈黙。
その二つが重なり合い、いまの日本経済の静かな偏りを形づくっている。

散歩道の先で、冬の光が街路樹の枝に反射している。
その光のように、見えにくいものを少しでも照らし出すことが、
私たちにできる小さな営みなのかもしれない。

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