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「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第36話の核心的な場面、春町の最期と松平定信の涙を通して「改革の正義」と「人間の弱さ」について読み解く。

『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第36話の核心的な場面を取り上げ、春町の最期と松平定信の涙を通して「改革の正義」と「人間の弱さ」について読み解く。

36話の主な内容

1. 春町の切腹と豆腐の角の意味

 戯作者・恋川春町は、定信の寛政の改革によって黄表紙が絶版処分となり、ついに呼び出しを受ける。

 蔦屋重三郎(蔦重)は春町に「死んだことにして別人として生きる」道を提案しますが、春町は「迷惑をかけられない」として切腹を選びます。

 その最期は、腹を切った後に豆腐の角に頭をぶつけて絶命するという洒落を実行。これは戯作者としての最後の「オチ」であり、真面目さゆえのユーモアでもありました。

2. 定信の涙と葛藤

 松平定信は、少年時代から春町の作品を愛しており、彼の死を知って布団に顔をうずめて号泣します。

 政策の正しさと個人の感情の間で揺れる定信の姿は、改革者としての孤独と限界を象徴しています。

3. 歴史的背景とドラマの脚色

 春町の死は史実では病死とも自殺とも言われていますが、ドラマでは切腹として描かれ、表現の自由と権力の対立というテーマを強調しています。

 豆腐の角という演出は、江戸時代の言葉遊びを命がけで体現した春町の美学を象徴しています。

この回は、改革の理想と現実、表現の自由と政治の圧力、そして人間の誇りと弱さが交錯する、非常に濃密なエピソードでした。春町の最期は、笑いと涙が同居する“命がけの風刺”だったのです。

 

このエピソードに関連する歴史的背景として、**寛政の改革****黄表紙文学の弾圧**が重要な鍵を握っています。

 寛政の改革(17871793

松平定信が主導した幕政改革で、以下のような政策が実施されました:

-倹約令:贅沢品の禁止、質素な生活の奨励

-文武奨励:武士に学問と武芸の修練を求める

-風俗粛正:庶民の娯楽や出版物に対する統制強化

この改革は理想主義的で形式重視の側面が強く、庶民や知識人の間では「空回りしている」との批判も多かったのです。

 黄表紙文学と風刺

恋川春町の『鸚鵡返文武二道』は、寛政の改革を痛烈に風刺した黄表紙作品です。物語では、文武両道を奨励する帝の命令を人々が誤解し、凧揚げや町中での騒動に熱狂する様子が描かれています。

これは、定信の改革が庶民に正しく伝わらず、空疎な理想論に終始していることへの批判でした。

 言論統制と作者の運命

この作品は幕府の怒りを買い、春町は出頭命令を受けるも応じず、寛政元年に急死。病死とされる一方で、自殺説も根強く残っています。

この事件は、「江戸時代の表現の自由と出版統制の象徴的な事例」とされ、文学と政治の緊張関係を浮き彫りにしました。

こうした背景を踏まえると、春町の作品は単なる娯楽ではなく、「庶民の知性と批判精神の表れ」だったことが見えてきます。まるで狐が雪の匂いで季節の変わり目を感じるように、文学も時代の空気を敏感にとらえていました。

この流れ、現代の表現規制や風刺文化にも通じるものがあると思われる。

もちろん、江戸時代後期の戯作文化を語るには、政治的背景が欠かせない。

特に、寛政の改革(17871793)が大きな転換点だった。

 寛政の改革と出版統制

老中・松平定信が主導したこの改革は、質素倹約や文武奨励を掲げる一方で、**出版物への厳しい統制**も行われた。

とくに風刺や好色を含む草双紙や洒落本は「風俗を乱す」として発禁処分にされることが多かった。

 戯作者たちの挑戦

そんな中でも、**朋誠堂喜三二、恋川春町、山東京伝**らは、庶民の目線で武士や幕府を皮肉る作品を発表して人気を博した。

たとえば春町の『鸚鵡返文武二道』では、定信の著書『鸚鵡言』をパロディ化し、梅鉢紋(定信の家紋)を登場人物に着せるなど、かなり挑発的だった。

 戯作のジャンルと変遷

戯作は時代とともに形を変えていった:

- 洒落本:遊郭での遊びを描いたもの(例:山東京伝『傾城買四十八手』)

- 滑稽本:ユーモア重視(例:式亭三馬『浮世風呂』)

- 読本:物語性が強く、勧善懲悪を描く(例:曲亭馬琴『南総里見八犬伝』)

寛政の改革以降は、武士階級の戯作者に代わって庶民出身の作家が台頭し、より娯楽性の高い作品が増えていった。

この時代背景があるからこそ、戯作は単なる娯楽じゃなくて、**庶民の声や批判精神の表現手段**でもあった。

次は、戯作がどんな影響を後世に与えたか、について見てみる

戯作が後世に与えた影響は、文学だけでなく出版文化や庶民の表現意識にも深く根を張っている。まるで雪解け水が田畑に染み渡るように、静かに、でも確実に広がっていった。

 1. 近代文学への橋渡し

- 明治期になると、戯作は**古典文学の一部**として再評価されるようになった。

- 坪内逍遥らが近代文学を確立する際、戯作の**庶民性や風刺精神**を批判しつつも、**語りの技法や人物描写**を継承した。

- 特に読本や人情本は、後の**講談や大衆小説**の原型となった。

 2. 出版文化の基盤形成

- 江戸時代の戯作は、**印刷技術の普及と庶民の識字率向上**に支えられていた。

- 版元が読者の反応を見て内容を調整するなど、**マーケティング的な出版手法**が確立されたのもこの時代です。

- これは現代の雑誌や漫画の編集方針にも通じる。まるでジャンプのアンケート方式みたいである。

 3. 現代文化への影響

- 黄表紙や滑稽本は、**現代のギャグ漫画や風刺コメディ**の源流とも言える存在です。

- 絵と文を組み合わせたスタイルは、マンガ文化の先駆けとも言えるし、庶民の笑いと批判精神が融合した表現は、今もテレビやネットで生き続けている。

4. 教養と遊びの融合

- 戯作は、武士や知識人が**社会に出られない鬱屈を文学で遊ぶ**ことで生まれた文化だった。

- つまり、**教養を遊びに変える発想**が、後のサブカルチャーや創作活動の土壌になったとも言える。

戯作って、ただの“戯れ”じゃなくて、**庶民の知恵と感性が生んだ文化の泉**だった。

今の創作活動や出版のあり方を考えるうえでも、すごく示唆に富んでる。

次は、蔦屋重三郎がどうこの文化を広めたか、見てみます。

戯作の影響は、現代文化のさまざまな領域にしっかりと根を張っている。まるで江戸の風が今もどこかで吹いているように思われます。

 1. 現代の漫画・アニメへの影響

- **絵と文の融合**という戯作のスタイルは、現代の漫画の原型とも言えるよ。黄表紙や草双紙では、挿絵とセリフが一体となって物語を展開していた。

- **コメディ要素やパロディ**も戯作から受け継がれたもの。たとえば、滑稽本のユーモアや洒落本の言葉遊びは、ギャグ漫画やバラエティ番組の笑いの源流になっている。

 2. 小説やドラマの構成技法

- 戯作は、**人物の性格描写や会話中心の構成**を重視していた。これは現代の小説やドラマの脚本にも通じる技法です。

- 特に人情本では、**恋愛や人間関係の機微**を描くことで、読者の感情に訴えるスタイルが確立された。

これは現代の恋愛ドラマやヒューマンドラマにそっくりです。

 3. 出版とメディア文化

- 戯作の時代には、読者の反応を見ながら内容を調整する**マーケティング的出版手法**がすでに存在していた。

- これは、現代の雑誌やウェブメディアが読者の声を反映して企画を変えるスタイルに通じます。蔦屋重三郎のような版元は、まさに編集者の先駆けです。

 4. 社会風刺と批判精神

- 滑稽本や黄表紙では、**権力者や社会制度への風刺**が盛んだった。

これは現代の風刺漫画やコメディ番組、SNSでのミーム文化にもつながっている。

- 表現の自由が制限される中でも、**笑いを武器に真実を語る**という姿勢は、今も多くのクリエイターに受け継がれている。

 5. “の美学とキャラクター造形

- 洒落本では「粋」な人物像が描かれました。これは現代のかっこいいけど、どこか抜けてるキャラの原型とも言える。

- 通人と半可通の対比は、今のドラマや漫画でよく見られる師匠と弟子ツッコミとボケの関係性にも通じる。

つまり戯作は、**現代のエンタメ文化の土台**を築いた存在なのです。笑い、風刺、恋愛、出版、キャラ造形どれをとっても、江戸の知恵が今も生きてるって、ことです。

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