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下総国新島料の開発と治水、元禄・享保期の河川改修事業 まとめ

下総国新島料の開発と治水、元禄・享保期の河川改修事業

 2025-12-13   利根川文化研究会

下総国(しもうさのくに)の新田開発と治水事業は、特に

元禄・享保期17世紀末から18世紀前半)において、幕府による利根川東遷事業の進展と密接に関係しながら進められました。この時期の主要な焦点は、印旛沼(いんばぬま)や手賀沼(てがぬま)周辺の低湿地の干拓と、排水のための新たな水路(堀割)の開削にありました。 

下総国新島料の開発と治水

下総国新島料(現在の千葉県北部、茨城県南部にかけての利根川・印旛沼周辺の低湿地帯)は、度重なる洪水に見舞われる地域であり、治水と開発は表裏一体の課題でした。

·         開発の背景: 江戸幕府は、新田開発による石高の増加と、江戸の町を洪水から守ることを目的として、大規模な河川改修事業を推進しました。特に利根川の流路を東に変更し(利根川東遷事業)、銚子沖から太平洋へ直接排水する流路を確立したことは、下総地域の治水の基礎となりました。

·         初期の取り組み: 江戸時代初期からの利根川東遷事業により、現在の江戸川が新たな流路として整備され、利根川からの水が江戸湾に注ぐようになりました。これにより、旧来の氾濫原の排水が改善されました。

·         新田開発: 河川改修によって生まれた広大な低湿地や沼地の干拓が行われ、多くの新田が開発されました。これらの地域が「新島」や「新田」と呼ばれ、年貢(料)の対象となりました。 

元禄・享保期の河川改修事業

元禄・享保期は、これらの治水・開発事業が本格的に展開された時期です。

·         享保の三大堀割工事: この時期、特に印旛沼からの排水改善を目的として、複数の「堀割」(人工水路)開削計画が立てられました。

o    井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)の活躍: 紀州流の治水技術者である井澤弥惣兵衛は、享保12年(1727年)に飯沼(現在の茨城県)の干拓を成功させた功績を評価され、印旛沼の干拓事業も担当しました。

o    平戸〜検見川(けみがわ)ルート: 印旛沼の水を東京湾へ直接流すための排水路として、平戸村(現在の千葉県八千代市付近)から検見川(現在の千葉市花見川区付近)へ至る水路(印旛疎水路)の開削が計画・実行されました。これは、沼と利根川の平水位との落差を利用した大規模な土木工事でした。

o    技術的な困難と継承: 堀割工事は、泥炭地(けとう)と呼ばれる軟弱地盤との戦いであり、工事の難航や一時的な中止もありました。しかし、この時の測量技術や経験は、天明、天保期に続く三大堀割工事へと継承され、最終的に現代の印旛沼開発事業の礎となりました。 

これらの事業は、下総国の新田開発を可能にし、江戸周辺の食糧供給地としての役割を強化した一方で、地域の水環境や景観に大きな変化をもたらしました。

下総国新島料の開発と治水、元禄・享保期の河川改修事業 まとめ

 原淳二氏の講義「下総国新島料の開発と治水:元禄・享保期の河川改修事業」の要点を、以下の通り解説します。

💡 講義の要点:下総国新島料の開発と治水
この講義は、現在の千葉県香取市にあたる下総国香取郡新島料を舞台に、江戸時代における新田開発と、それに伴って発生した治水問題、そしてその解決を目指した元禄・享保期(17世紀末〜18世紀初頭)の河川改修事業の経緯と、計画が難航した要因を明らかにするものです。
1. 香取海と新田開発(開発の背景)
香取海(かとりのうみ)の開発:
下利根川(現在の利根川下流)が注いでいた巨大な潟湖である香取海で、堆積によってできた洲島(すじま)を利用し、近世初頭から新田開発(新島料の開発)が促進されました。
佐原新川の開削:
開発の一環として、佐原村(現在の香取市佐原)周辺で新しい川(佐原新川)が開削されました。
2. 新堀割川の開削と「百之海」の問題
新堀割川(しんほりわりがわ)の開削:
新田開発を進める中で、治水や舟運の改善を目的として、新たに新堀割川(堀割り)が開削されます。
「百俵之海」(ひゃくひょうのうみ)の存在:
この地域には、「百俵之海」と呼ばれる特定の水域が存在しました。
これは特定の村(佐原村など)が**用益(水利権や漁業権など)**を持つ既得権益の場であり、新島料の治水改修策を進める上で障害となります。
3. 元禄・享保期の治水事情と改修計画の難航
新田開発が進むにつれ、下利根川流域の治水問題が深刻化し、元禄・享保期には大規模な河川改修が計画されました。
1. 計画難航の要因
新島料内の堀割り開削などの河川改修策が、なぜ順調に進まなかったのか? 講義では以下の2点を主要な要因として指摘しています。
幕府による普請組織の問題:
下利根川の普請(工事)組織である「利根川通普請組合」の運営や調整がうまく機能しなかったこと。
佐原村や新島新田などの関係者が、それぞれの立場で利害調整に絡みました。
既得権益の存在:
佐原村などの既得権、特に「百俵之海」での用益(水域利用の権利)が、新しい河川改修策の実施を阻害する要因となったこと。
2. 大規模な放水路計画
根本的な治水問題の解決を目指し、大規模な放水路計画も検討されました。
鹿島灘(かしまなだ)への放水路計画:
利根川の水を太平洋側の鹿島灘へ直接流す計画。
享保期の印旛沼(いんばぬま)放水路計画:
印旛沼を経由して江戸湾(東京湾)へ放水する計画(後に明治期に実現)。
まとめ
この講義は、下総国新島料の開発が、単なる技術的な治水工事ではなく、幕府の行政組織(利根川通普請組合)や、地域住民の持つ経済的な既得権益(百俵之海など)といった複雑な要因に影響され、計画が難航した近世治水事業の現実を具体的に示したものと言えます。
佐原村の利権など、地域の事情が広域的な治水策の成否を左右したことが、重要な論点となっています。

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