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始まりの木 旅の終わりに 第五話について

始まりの木 第五話について

第五話 灯火 旅の終わり。日常風景の中に隠された人の心の風景。ですが、漱石の草枕の十一の画工と和尚の景色、そして漱石の三四郎の1の八の上京途上の汽車中で出会った髭の男が「日本より頭の中の方が広いでしょう。そして、日本は滅びるね。」の情景を思い出しました。多分、夏川さんは情景をパクったなあ、という感想を抱きました。

 

この「日常に潜む心の風景」というモチーフは、夏目漱石の『草枕』にも通じるものです。『草枕』では、主人公が非日常の旅を通じて、芸術や人生について思索を深めていきます。漱石は「非人情」の世界――つまり、日常の利害や感情から離れた静謐な心のあり方を描きました。

『始まりの木』の「灯火」も、旅の終わりに日常へ戻ることで、日々の風景の中に「目に見えない大切なもの」や「祈り」「畏怖」といった感情を再発見する物語です。これは、漱石が『草枕』で示した「日常の中にこそ芸術や精神の本質がある」という思想と響き合っています。

要点まとめ:

  • 「灯火」は、日常の中に隠された精神性や文化的記憶を描く。
  • 漱石『草枕』は、旅と非日常を通じて、日常の奥にある心の静けさや芸術性を探求する。
  • 両作とも、日常の風景に潜む「人の心の原風景」や「目に見えないもの」を見つめ直す点で共通している。

 

1. 『草枕』の画工と和尚の対話

『草枕』では、主人公である画工と和尚が自然や人生について静かに語り合い、末期がんの住職の言葉が印象的に描かれます。この場面は、現実の終焉や無常観を静かに受け入れる日本的な精神性を象徴しています。

2. 『三四郎』の髭の男の「日本は滅びるね」

また、『三四郎』第18節で、上京途上の汽車の中で髭の男が「日本より頭の中の方が広いでしょう。そして、日本は滅びるね。」と語る場面も、時代の変化や日本文化の行く末に対する憂いを表現しています。

3. 『始まりの木』との共通点とオマージュ

『始まりの木』の「灯火」では、旅の終わりに日常へ戻ることで、日々の風景の中に「日本人の心の原風景」や「目に見えないもの」を見つめ直すという主題が描かれています。これは、漱石作品における「日常の中の非日常」や「無常観」といったテーマと深く重なります。

ご指摘の「夏川さんはパクったなあ」という感想についてですが、実際に夏川草介さんは夏目漱石を深く敬愛しており、漱石作品の構造や文体、テーマを意識的に継承しようとしていることが作中でも語られています。特に「師弟の対話」や「日常と非日常の交錯」、「滅び」や「無常」といったモチーフは、漱石文学の伝統を現代に蘇らせる意図が感じられます。

まとめ

  • 『始まりの木』の「灯火」は、漱石『草枕』『三四郎』の名場面と主題的に強く共鳴している。
  • 夏川草介さん自身が漱石文学の影響を公言しており、意図的なオマージュや引用の可能性が高い。
  • 「パクった」というよりは、日本近代文学の系譜を現代小説として再解釈・継承したものと捉えることもできます。

 

 

ご質問内容を整理すると――

  • 「滅びるね」という言葉は、漱石『草枕』の画工と和尚の会話ではなく、『三四郎』の髭の男による発言である。
  • 「パクったね」という表現は浅薄だったかもしれない。
  • 夏川草介さんの『始まりの木』における「滅びるね」の言葉は、より深い読解が必要だと感じている。

この点、正確にご指摘いただいた通り、「滅びるね」は『三四郎』の汽車の中で髭の男が語った言葉です。漱石はこの場面で、日本の近代化や文化の行く末に対する憂いを象徴的に表現しました。

一方、夏川草介さんの『始まりの木』「灯火」では、日常の風景の中に隠された日本人の心の原風景や、現代社会における「祈り」「畏怖」「滅び」といった感情を静かに問い直しています。夏川さん自身が漱石文学を敬愛し、構造やテーマを意識的に継承していることは作中でも語られていますが、「滅びるね」の言葉が単なる引用や模倣ではなく、現代の文脈でどのような意味を持つのかは、より深い読解が必要だと思います。

まとめ

  • 「滅びるね」は『三四郎』の髭の男の発言であり、漱石の近代日本への憂いを象徴する言葉。
  • 夏川草介さんの『始まりの木』における「滅びるね」は、漱石へのオマージュ的要素を含みつつ、現代社会の精神性や文化的記憶を問い直すための新たな意味づけがなされている可能性が高い。
  • 「パクった」というよりは、文学的伝統の継承・再解釈として捉えるのが妥当かもしれません。

今回のご発言は、「多分、樹齢600年のしだれ桜の老木の伐採と住職の終末を想起したのかもしれませんね。生から死への自然ですね。」というものでした。

このご感想は、『始まりの木』の「第五話 灯火」における象徴的なモチーフ――すなわち、長い年月を生きてきたしだれ桜の老木の移設と、住職の人生の終末が重ね合わされる場面――に着目したものです。まさに、自然の摂理としての「生から死への流れ」、そして人間の営みと自然の循環が静かに描かれている点が、このエピソードの大きな魅力です。

また、こうした「生と死」「滅び」といったテーマは、夏目漱石の『三四郎』や日本近代文学にも通底する重要なモチーフです。夏川草介さんは、漱石文学の伝統を意識的に受け継ぎつつ、現代の物語として再解釈していると考えられます。

まとめ

  • しだれ桜の老木と住職の終末は、「生から死への自然な流れ」を象徴している。
  • これは『始まりの木』の「灯火」の核心的なテーマであり、漱石文学にも通じる日本的な無常観や自然観と深く結びついている。

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